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上地流空手道協会
私たちが稽古をしている上地流空手道は、
沖縄三大流派の一つに数えられる歴史と伝統を誇る空手道です。
沖縄空手の紹介
上地流宗家の系統図
上地流宗家の系統図 | ||
上地流空手道開祖 | 上地完文 | 1877〜1948 |
上地流空手道宗家二世 | 上地完英 | 1911〜1991 |
上地流宗家三世 | 上地完明 | 1941〜2015 |
上地流宗家四世 | 上地完尚 | 2015〜 |
上地流の型
三戦 | サンチン |
完子和 | カンシワ |
完周 | カンシュウ |
十戦 | セイチン |
十三 | セイサン |
十六 | セイリュウ |
完戦 | カンチン |
三十六 | サンセイリュウ |
上地流空手道協会とは・・・
沖縄総本部道場 宜野湾市普天間
上地流の歴史
上地流は、パンガイヌーン(半硬軟)という中国拳法が基になっている。
中国の武人、周子和が中国の福建省福州市で指導していました。
開祖上地完文は中国に渡り、周子和に師事しました。
上地完文は三戦、十三、三十六の3つの型を沖縄に持ち帰りました。
1926年、和歌山市で上地完文が中国国外で初めての道場を開く。
1932年、道場を沖縄に移しパンガイヌーン流唐手術研究所を開く。
1940年、パンガイヌーン流唐手術研究所から流派名を「上地流 」と改名した。
上地流の特徴
上地流の特徴としてまず上げられるのは、肉体を極端に頑強に鍛えあげることである。
上地流では三戦(サンチン)の型を非常に重視しており、
これによって構え・体捌き・心技体の基礎となる呼吸法を磨く。
上地流は、攻撃方法に指先・足先を使った技が多いことも特徴である。開手で型を行い、蹴り技においても足の指先を固めて蹴る足先蹴りなどがあり、上級者になると固めた足の爪先で板を蹴り抜く。
上地流は実践的な武道としての声価を富に高めるが、
技法上の体系は、中国伝来の(三戦)(十三)(三十六)等の三つの型を軸とし、
戦後編み出された5つの型に、組手を加えて完成された。
中国の軌道権威筋は上地流の拳質を(龍虎鶴の拳)と鑑定するが、技法上の特性は
この3種の動物の攻防の原理を体系化したというところにある。
教習体系では、技理不偏を要締とし、理善業後(型→組手)の原理を強調する。
すなわち、型の演練を中心にして、それの応用技としての組み手が
補強的に錬成されるしくみになっている。
その課程で修行者の志向するものは心技体合一の境地であることは論をまつまでもない。
上地流の道統を思想づけるのは(八常の徳)
(礼儀・信義・廉潔・質素・公正・寛大・剛毅・不屈の意志力)であるが、技法的には、(眼精手捷)が流提である。
沖縄伝統空手道は、「型」と「鍛錬」を重視し、武道を通した人間形成を目的とし、その哲理は、「空手に先手なし」と「戦わずして勝つ」に象徴されています。
沖縄伝統空手道の練習の基本は、「型」を極めることです。
修武館の由来
流祖 上地完文が、和歌山市にパンガイヌーン流空手術研究所を開設後8年を経た昭和8年、門弟相互の切磋琢磨や相互扶助を目的とした武道団体として修武会が結成されました。
昭和46年、武道団体としての修武会は上地流空手道協会に発展し、
所属道場は、所在地+修武館となのるようになりました。沖縄では○○修武館というと、上地流空手道協会の道場と了解される程周知の名です。
上地流空手道協会 東京本部所属道場
上地流空手道協会 東京修武館 総本部 ホームページ
東京修武館 本部道場 | 杉並区荻窪2-41-12 | 館長 新垣 広富 |
稽古日:月曜日/土曜日 | ||
東京修武館 阿佐ヶ谷道場 | 杉並区阿佐ヶ谷南3-56-1 | 館長 新垣 広富 |
稽古日:金曜日 | 支部長 佐藤 千穂 | |
東京修武館 桃園教室 | 中野区中野3-35-1 桃園会館 | 館長 新垣 広富 |
稽古日:木曜日 | 支部長 城田 英昭 | |
東京修武館 群星館道場 | 杉並区高円寺北3-22-3 | 館長 新垣 広富 |
稽古日:日曜日 | 支部長 高橋 貫太郎 |
沖縄宗家 上地完尚会長、上地完司先生